徹の部屋 Testuya's Room

プロローグ1【突然の怪我】
「いたっ!」 バスケットボールの練習で賑わう体育館の中、その声が響き渡る。 徹也 15歳の夏。 突然の怪我が徹也を襲う。「靭帯断裂」。中学校選抜の練習中のことだった。 バスケは小学校4年生から始めた。3人兄弟の末っ子として生まれ、2人の兄もバスケ人間だった。その影響を受けてか知らずのうちにバスケを始めた。2人の兄からバスケの教育をされ、いつのまにかそのセンスをフルに発揮し、中学北陸選抜のメンバーになった。身長・体格・バスケットボールへの情熱。誰からもその将来を有望視されていた。 その練習中のことだった。 突然の痛みに襲われ、意識がもうろうとするなか病院へと担ぎこまれる。 そしてそのまま緊急手術。 何事もなかったかのようにいつもの生活に戻れる、誰もがそう思っていた。 だが・・・
プロローグ2【裏切れる期待】
手術の翌日、その手術を受けた足は膝から下がどす黒くなっていた。 普通の生活に戻れるはずの徹也と家族に、いわれもない不安がよぎる。 「 足を切断します」担当医からの突然の宣告。 誰もが予期していないその言葉を受け入れることができず、ただ体中の血の気が引いていく。 「医療ミス」 万が一という言葉があるが、徹也にその「万が一」が来てしまったのだ。絶対という言葉は世の中ではよく使われる。しかし、絶対など存在しないともよく言われる。15歳にしては、あまりにも残酷で辛い現実と向き合えるほど人間はできていない。ましてや血気盛んな徹也にしては・・・ 「何故?」 「何故俺が?」 「練習にいかないと・・・」 現実を把握することができず、無くなった足をただ見つめるだけだった・・・
プロローグ3【 暗闇の中の一筋の光 野沢拓哉との出会い】
混沌とする毎日を病院で送っていた。 理不尽な現実に腹を立て、親や周りにあたるようにもなった。 足がなくなったことより、大好きなバスケができなくなったことのほうがショックだった。 病院にお見舞いにきてくれる友達やチームメイトや関係者達。 頑張って作る笑顔にももう疲れた。 「元の生活に戻してくれ。」 「またいつもと変わらずバスケをさせて欲しい・・・」 そんな日々のある日。 車椅子にのった、歳もよく似た青年が突然徹也に会いにきた。 「車椅子バスケをやらないか?」 彼の名は野沢拓哉(ノザワタクヤ)。当時17歳。 彼は7歳まで普通に生活していたが、突然治ることない病気が彼を襲った。 その日から車椅子での生活を余儀なくなれた。 障害者のスキー、チェアスキーを始め、車椅子バスケに出会った。 始めた頃は力いっぱい放ったシュートもゴールにかすることもなく宙を舞っていた。 高校では、普通の高校で、普通のバスケットボール部に所属し皆と一緒にバスケで汗を流した。 めきめきと力をつけていった拓哉は、いつのまにかチームの中心の選手となっていく。 そんな彼もジュニア日本代表に選ばれるまでとなる。 日本代表選手が目の前にいる。 彼の言葉は、何のためらいもなく徹也の心に染み渡っていく。 車椅子バスケ? 車椅子にのってバスケをやる? またバスケができる? 俺もいつか日本代表に・・・ 絶望の中にいた徹也に、まぶしいくらいに輝いた扉が今開かれようとしていた。
プロローグ4【それからの入院生活】
どれくらい入院していたのだろう。 受け入れられない現実と闘いながらの入院生活は、苦痛でしかなかった。 毎日の規則正しい生活、検温、リハビリ。 同級生達は部活に励み、遊び、学生生活を楽しんでいる。 でも俺は・・・ そんな思いでいた毎日だったが、 拓哉に会った時から気持ちが押さえられないでいる自分に気づいた。 「またバスケがやれるんだ」 徹也は嬉しかった。 今までとは違うが、またバスケが出来る喜びで入院生活も苦にならなかった。 徹也の中で現実を受け入れ、新しいことにチャレンジする気持ちが生まれている。 父も母も兄弟も皆、そんな徹也を見て嬉しかった。 「またみんなでバスケをやろう」 そんな徹也の何気ない言葉に家族は涙した。
プロローグ5【いつもと変わらぬ生活】
長かった入院生活もいよいよ終わりを遂げた。 早く車椅子バスケがしたくてこの日を待ち遠しくて仕方がなかった。 家に帰るといつもと違っていた。 徹也のために、車椅子で出入りができるように、改築がされていた。 部屋に入ると、履いていたバスケットシューズが飾ってあった。 「捨てなくてよかった・・・」 ぼそっと徹也の口からため息のように言葉が漏れた。 いつもの生活も前となんら変わらなかった。 ただ足が片方なくなっただけ。 若干都合は悪くなったが、なんとか前向きな気持ちで進むことができた。 変わったことは他にもあった。 気づかなかったが父も母も短い間に白髪が増えた。 苦労したのは僕だけじゃない。親も兄弟も回りの皆が見守ってくれていた。 そう思えるようになった徹也がいた。 僕にできることは、皆にバスケをしている姿を見せてあげること。 生活で使用する車椅子にも相当慣れた。 準備は万端。 あとは車椅子バスケの練習日を待つだけ。
プロローグ6【初めての練習会場】
待ちに待った車椅子バスケの練習日がやってきた。 富山県車椅子バスケットボールクラブ 富山県で活動する唯一の車椅子バスケのクラブチーム。 1980年に結成され、日本車椅子バスケットボール連盟に登録された。 東海北陸ブロックに所属し、現在もその活動を続けている。 拓哉から入院中に声をかけられから随分と日が経った。 その間も拓哉からは色々と車椅子バスケのこと、 富山県チームのこと、 ジュニア日本代表の話ことを聞いていた。 そんな話を聞けば聞くほど夢は広がった。 いつか自分も日本の頂点へ・・・ 練習会場につくとすでに選手の何人かが集まっていた。 もちろん拓哉もそこにいた。 「よろしくお願いします」 幼さを残したその顔には何か自信のようなものが見えた。 チームの何人かは徹也のことを聞いていた。 第一印象は「大きな体をした中学生」そんな印象だった。 車椅子バスケをしている選手の中で、障害を持つ前に健常のバスケを経験していた者は少ない。そのためチームではそんな徹也に期待する声も多かった。 障害者が何人もいるその風景に、見慣れない風景と初めて見る顔ばかりで 徹也は落ち着けないでいた。 揃っているメンバーはそれぞれ違った障害を持っているようだ。 常日頃から車椅子で生活している人、普通に歩いている人、僕と一緒で足が無い人。 メンバーは皆明るく、誰もが親しみやすく気軽に声をかけてくれた。 障害という同じ立場の人達に囲まれどこかホッとしている自分がいた。
プロローグ【一台の車椅子】
徹也のために車椅子が一台用意されていた。 誰かが使っていたものらしく、傷だらけの使いふるされた車椅子だった。 その車椅子は自分が普段つかっている生活用のものとは異なっていた。 相手との衝撃などを緩和するためにつけられたバンパー、 転倒を防止するためにつけられている小さなタイヤのついた転倒防止バー、 キャンバー(角度)のついた車輪。 それは、スピードと回転(動き易さ)を追求した車椅子バスケットボール専用のマシンだった。 通常、30万円~40万円からするバスケットボール用の車椅子。 メーカーも様々あり、乗る人の障害・体格・使い勝手により一つとして同じ型のものはない。 徹也に用意された車椅子も、似た障害・体格の人が使っていたものである。
プロローグ【未体験 車椅子バスケットボール】
載ってみると以外と乗り心地が良かった。 やはり通常のものとは違い、走らせ易く、また回転しやすかった。 いてもたってもいられなくボールを持ってシュート・・・ そのボールは虚しくもゴールにかすりもしなかった。 「久しぶりにシュートだし」 そう自分に言い聞かせてもう一度シュートを打つ。 が、やはり入らない。 この間まで立って打っていたシュート。 膝を使い、膝から肘・指先へと体全身で打っていたシュートが、今は椅子に座って打っているのだ。しかもゴールの高さは通常のものと変わらない。腕の力だけでシュートを打つ。まだ始めたばかりの徹也の課題となった。 しかも車椅子が上手く操作ができない。 他のメンバーは車椅子を体の一部かのように操作しコート上を走り回っている。 何事も最初からは上手くいかない。 しかし、人一倍負けず嫌いの徹也の闘争本能に火をつけた。